一昨日は久しぶりに実家に。
先日父が携帯に『枝が折れそうなほど「ゆすらうめ」の実が』と写真を送ってくれたのだけど、「ゆすらうめ」って何?梅の仲間?でも、写真はさくらんぼみたいに見えるんだけど。
これがその写真。すごく美味しそうな実なんだけど。父のメールによれば味は良くないそう。
なので、実況検分のために実家に帰ったわけで。いや、ほんとはご飯を食べさせてもらおうと帰ったんだけど。
夕方実家に着き、早速父と「ゆすらうめ」なるものを検証。
写真のとおりすっごく綺麗な赤。ついつい食べたくなっちゃうけど。
「食べられないの?」
「食べられないわけじゃ無いんだけど、美味しいものでもないんだよ。食べてみれば。」
といわれ、一粒とって口にしてみる。
そうねぇ、甘酸っぱいけど最後に苦味が残るね。
でも食べられないってほどではないしこんなに見事になっているのにもったいない。
これはそのうち母がお酒に漬けるそうな。
そして私のもうひとつの目的は「シソの葉」。
「シソの苗、何本かほしいんだけど。」
というと
「そんなもの、どこにでもあるよ、ほら、ここにも、ここにも。」
だよね。これが普通に育ったので、一人暮らしをはじめた時、スーパーでシソや茗荷に値段がつけられて売られていたときものすごくびっくりしたっけ。
そんな風に庭を見ていると狭い中にも「これは芽が出ちゃったジャガイモを埋めておいたら結構食べられるように出来るよ。」とか、あれ?びわの実も小さいながらも実がいっぱいだけど、こんなところにびわの木あったっけ?
「何年かでこんなに大きくなって、こんなに実がなってるんだけど、上のほうの美味しいとこは全部鳥が食べちゃう」んだそう。
あと明日葉もすごい勢いで新芽が出て増えて行くらしい。
土があったら食料がなくなっても何とかなるもんだねー。だって、ゆすらうめとかも実をもぎって食べて種とかその辺に捨てておくとまたそこから芽がでるわけでしょ。枯葉は肥料になり、生ごみも減り。その代わり雑草や虫も大変そうだけど。それが自然ってモノなのね。
父は今年かぼちゃを作るそう。
出来たらまたもらいに行こう。
夕飯にはとにかく野菜がいっぱい。庭の明日葉も天ぷらになって美味しい。
ついつい食べ過ぎ。ありがたや。
そして翌朝、7時ごろ起きていくと、もう父特製の野菜と果物のジュース。
そして、いつの間にかちゃんと、私がほしいと言っていたシソと山椒を持ち帰りやすくセット。
でももうちょっとシソがほしいんだけど。といえば
「じゃあ、よさそうなのを探してみる。」と元気そうな苗を新たな鉢に。
でもその後何かを探している。
「どうしたの?」
「変な虫とか入っていないなるべく綺麗な土を入れてあげようと思って。」
そんなことは大丈夫だよ~。
本当に何から何まですばらしく気の回る父であります。
そして、鉢植えやら、母手作りのママレードやらピクルスやらを抱えて帰宅。
東京の自宅に帰り、買い物に行きながらふと土を探してしまうけど、見事にコンクリートで埋められているのね。それか整備されて砂利がしいてあるか。
もちろんそこで便利な生活をしているのが現実だし都会のありがたみというのもあるけれど。
つくづく土のありがたみも感じ。
それ以上に親のありがたみを感じ。
さて、都会に来たこの緑たち。無事にここになじんでくれるかしら。
シソ、バジル、山椒。元気に育って、私の料理に役立ってお~く~れ~!
私が育てる緑って昔から食べられるものばっかり!