まだ秋と冬の行き来をしている感じの11月です。
超冷え性の私にはこの気温の変化は厳しい。厚着をして出ていくと昼間は暑いし、夜は手袋欲しいほど寒かったり。でも寒いよりは暖かいのは助かります
先ずは高校時代の友人と3人でランチビッフェ。
2人とももうお子さんとも手が離れたし、友達の娘さんが割引クーポンを見つけてくれたので、その分贅沢して90分スパークリング飲み放題もつけてもらいました。
この3人でランチはしていたけれどお酒を飲むなんで30年ぶりくらいかも。
その間2人は家庭を守ったり子育て頑張ってたんだな、って思います。
それにしても私の友達はなんで皆んな面白いんだろう。
それぞれの個性が際立っていて4時間じゃベリ倒しました笑
久しぶりのエスニック料理も美味しかった。
そしてこれはどうでも良いけど、千葉県柏市にベルサイユの薔薇マンホールがあるという事で実家への乗り換えついでに見てきました!
なんでも作者の池田理代子先生が20年柏市に住んでいらしたそう。
でもこれ発案者絶対同年代だよね!
そして月末は野外で辛ラーメンを食べよう会。
だけど外で火を使えるところってほんとない。千葉県の最北端の方まで行ってもらってカセットコンロで作った辛ラーメンは美味しかった。そしてこの時のメンバー、運河平左衛門、蔵さんでコンサートをさせていただいた時の今や活動休止しているギターとヴァイオリンのユニットとその時に絵を飾ってくださった画家さんなので、帰りに平左衛門さんに寄ってみよう、といってみたらオーナーさんにも会えて何年ぶりかにみんなで元気に会うことができて嬉しかった。
この日はとても天気が良くてまさに紅葉の見頃みたいな1日でものすごく気持ちよかったし、会いたい方々に会えてよかった!
さて、昨年11月に父が96歳で亡くなり1年経ちます。
父は老衰でしたし、苦しむことも痛いということもなく、脱水症で入院して数日後眠ったまま亡くなりましたし、献体という意思があったのでスムーズに事が運ばれすぎたし、元々一緒に住んでいなかったので実感がありませんでした。
月初めにランチしたご両親とも健在の友達に『親が亡くなった時の喪失感とかどうなのか?』と聞かれた時両親とも亡くなったもう1人の友達と『そんな思いに浸る暇もないほどやる事だらけだから』と。まず何から手をつければ良いのかわからないけれど、実家のある流山市はお悔やみ課というのがあって助かりました
兄が1週間仕事を休んでくれる事ができたのでそこに一緒に行ったり、できることを手分けしたりと情報を共有出来たのはありがたかったです。
でも本当に役所の手続きって平日の9〜17時以外動けないんですよね。
まあそんなこんなや銀行のこと、土地の登記、あとマメな父がゴミの分別など全部やっていたので誰も分別の仕方が分からずそれも大変でした。足の悪い母に変わりゴミ出しのために朝早くに実家にいってたりもしましたね。
でも父は年齢が年齢だったので10年くらい前から正月に集まった時などに先々どうするかを決めていてくれたのでこれでも楽だったと思います。
老衰まで命を使い切ってくれた父にお疲れ様でしたとありがとうという言葉しかありません
私は本当に父親っ子でした。
小さい頃は家から駅まで父の姿が見えなくなるまで『おとーさん』と泣いて叫んでいたので、通りがかりの出勤の方々は何か家庭に問題あるかと思っていたかも。
音楽が全くわからない父は私がヴァイオリンを続けていく上でものすごくクッションになってくれていました。
先生の家が駅から遠かったし夜になるので仕事帰りに迎えにきてくれて超冷え性の私の冷たい手を自分のポケットに入れて温めてくれたり、先生に怒られた様子の時にも大変だね〜と私の心を軽くしてくれていました。
そしてとにかくなんでもきっちりしていて、私がコピー譜の製本を頼んだ時にはその製本が素晴らしすぎて芸ストでもちょっと話題地なったくらい(笑
歳をとってからは新聞に載っている料理などもしてくれましたが新聞の写真とそっくりの料理でした。そして父の得意料理はきんぴらごぼう。にんじんもごぼうも同じ大きさにキレイに揃えて切ってあって、どうしたらこんなにキレイに揃えられるの?と聞いたら「四角い物が好きだから」という想像を超えた答えが返ってきました(笑
そして私腕時計をよく忘れるので松戸の大学に行く時に忘れるとレッスン時間などもあるので途中に安い腕時計を買ったりしてたのですがその電池の入れ替えもしてくれていました。
最後に頼んだ時にも「出来るかな?」と言いながら預かってくれましたが、時計の裏を開くところまでやってくれたままの状態で残っていたのが、やれるところまでやろうと思ってくれていたのだと思うとなんかもうね。
庭にもいろいろな種を蒔いて野菜など育てていたりしましたが、それは育つ過程が面白いからだけで食に興味があるわけではなかったです。どちらかといえば毎日同じものだけ食べていたい人でした。
ので夏になればゴーヤやピーマンを収穫していってね!秋には葡萄、唐辛子は私のためにと言って糸を通して干しておいてくれました。らっきょうや梅干しもつけてくれていたし、コロナ禍の自粛の時にも送ってくれたりしていました。もうそのらっちょうや梅干しも食べ終わってしまい父の味は味わえません。
そんな父がいなくなって一年。
覚悟はしていたけれど、わかりやすく無償の愛をそそいでくれた人がいなくなってしまったこと、そしてその時間はもう戻らない事が寂しくて仕方ない。
それにしても父はすごい人で自分で自分の分野のホームページも立ち上げていました。
そのためのExcelの参考本への書き込みも素晴らしくて本当に興味があることへの追求心とマメさに兄と共に感心と尊敬しかないです。
まだみれるのかな?